音楽について- 2

代替医療

前回、音楽療法について触れました。

一般的に、音楽は私たちの生理的・心理的に癒しをもたらすものですが、音楽を職業としている場合、自分の専門分野は癒しにならず、他のジャンルのほうがくつろげるもののようです。

私の知るピアニストさんは、タンゴやラテンを中心に、あらゆるポピュラー音楽を弾いておられましたが、お酒を飲むときは日本民謡の流れるお店で、洋楽の流れないお店が良いとおっしゃっていました。

他の演奏家の方たちも同様かは分かりませんが、演奏にしても歌にしても、専門的になると多くのことを聴き分けてしまうのだと思います。

歌の場合は声や歌い方に性格が出るのは頷けますが、ピアノも弾く人によって音が違うと知って驚いたことがあります。

ピアノの良いところは、キーを叩けば取り敢えず音が出せます。しかし、ピアニストによって、例えば○い音、△の音、□い音・・と、弾き手の性格によって違うそうです。

「なぜですか?」と伺うと、「ここだよ」と言って胸に手を当てられました。つまり、意識しなくても、心が「こういう音を出したい」として、指を鍵盤にタッチさせるのだそうです。

それを伺ったのは30年余り前のことですが、今年の6月末の上毛新聞に、柳宗悦氏の著書『手仕事の日本』から、次のような内容が紹介されていました。

「『手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて(略)これこそは品物に美しい性質を与える原因である』と、手の技と心のつながりが機械にはない不思議な動きをおこさせると強調している」

柳宗悦氏は民芸運動の提唱者ですが、民芸品に限らず、人間のなすことは総て「心」が表れるもので、どんな仕事であっても深く追求していくと、最後は心のあり方に行きつき、分野の違う人たちとも同じ哲学を共有するものだと思います。

「文は人なり」とは広く語られるように、書き手の人間性が表れていて、シンプルな心の人の文章はきれいで読みやすく、私欲や自己顕示などの感じられる文章は、たとえ題材が興味深くても途中で読むのを断念する場合があります。

「美しい作品はシンプルな心から生まれる」と感ずるのは、文章だけでなく、演奏も歌も美術品も日用品も総て、その道の感性を磨いた人からは見抜かれてしまって、ごまかしの利かないものではないでしょうか。

シンプルな心とは、たぶん全生物に共通の受動的な感情(喜怒哀楽)はあっても、人間だけがもつ「積極的な悪意」や「私欲に基づく邪心」などが排除されたものではないかと思います。

これは健康でも同じであって、3月のブログでご紹介した、「氣」について-10<きれいな氣>で書いたように、どんなに体に良いことをしてみても、悪意や邪心は「氣」を乱し、健康長寿は得られないと思われます。

逆に、悪意や邪念の無いシンプルな心を磨いて自然(宇宙)と同期する波長を得た人は、聖路加病院の故・日野原重明院長のように、食養生などをしなくても健康長寿を得られるのではないでしょうか。

私が「健康」というものを40年以上研究してきて、ある時から「精神が総てを支配する」という結論に至ったのは、そうした「氣」の考察によります。

健康とは極めて総合的なもので「絶対」はありません、とよく申し上げるのですが、強いて言うなら「自然と同期するような『きれいな氣』『シンプルな心』」が頂点なのだろうと思います。

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