健康という病

生活改善, 自然医学

「健康という病」とは、五木寛之氏の著書のタイトルです。

私は読んでいないのですが、一昨年の上毛新聞に、本書の紹介と五木氏の健康観が掲載されていて、それが素晴らしかったので切り抜いておきました。

五木氏は、「健康情報があふれる風潮が、人々の不安やストレスを生んでいる」として、「健康を過度に気遣うこと自体が病」とおっしゃっています。

交通事故などの不測の事態は別として、「自分でやりくりして駄目なら仕方がない」というニヒリズムがあり、戦後から現在まで歯科医を除いては病院に行かなかった、とのことです。

それと共に、「医療産業が人々を『マーケット』として捉えていると感じられるのも不愉快」とおっしゃっています。

「かといって健康だったわけではなく、身体的な不調に関しては、水の飲み方や呼吸法、歩き方など、それぞれに試行錯誤を重ね、体が発するサインに耳を澄ませる『自助努力』を惜しまなかった」そうです。

自分の体の声をキャッチできるのは自分だけであって、その原因にいち早く思い当ることができるのも自分だけですから、「自分の主治医は自分自身」で、解決の技術が不足しているときに病院へ行く、ということだと思います。

こうした方は、恐らく感染症に対しても抵抗力が強いでしょうし、このようなお考えで、ご自分に合った健康法を確立してこられたのは、なんと聡明な方なのでしょう。

自然医学の森下博士も、よく次のようにおっしゃっていました。
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患者さんが生きて来られた数十年の生活体験の中にいくつかのミスがあって、その累積で病気になったのですから、間違っていた点は何かというのは自分でないと分からない。

私の立場は、大自然のおきてに則ったやり方をしておられるかどうかということを、間に立って通訳をして差し上げているに過ぎません。

赤の他人である医者が、その人の生理の中に入り込んで身体を左右するなんて、そんな大それた力は微塵もありません。
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五木氏は、「早寝早起き」についても「封建時代のモラルだ」とおっしゃって、ご自身は20代後半から、朝方に眠り午後に起床するという生活サイクルだそうです。

生理学的にはやや齟齬がありますが、それで不調が無いのであれば、それは五木氏に合っていて、やはり「絶対」は無いのだと思います。

たとえ何か持病があったとしても、体が発するサインに耳を澄ませて『自助努力』を続けることで、「一病息災」という人生になるのではないでしょうか。

今回の新型コロナウィルスについても、やるべきことをやって、「いたずらに恐れない」という心のもち方が、自身の身体を良い方向へ導いてくれるに違いありません。

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