田舎に住むということ

生活改善, 食養生

総ての生物は環境に左右され、人類も、食べ物をはじめ環境によって造り上げられていきます。

よく云われるのは、狩猟民族は攻撃的で農耕民族は大人しいそうです。

そうしたことから、国民性、県民性などの地域性が生ずるのは自明の理といえるでしょう。

私は東京に住み始めてから、きれいな空気を求めて何回も引っ越しを重ねました。

特に田舎に住みたかった訳ではないのですが、より空気のきれいなところは、必然的に都心から離れていきます。

遂に6年前、生まれて初めて「村」の住人となりました。

転入してきたころは、都会の組織を戦場としていた感覚を引きずっており、時間の感覚や合理性・効率性などで空回りしているような気分もありました。

そのうち、田舎の土地に慣れ親しんでくると、いまが人間らしい本来のペースで、これまでのペースが不自然だったように思えてしまいます。

7月の上毛新聞に、群馬の県民性について、とても共感を覚える記事が掲載されておりました。

要約すると「サービス精神旺盛」、つまり価格に見合った品質やサービスが受けられ、期待を上回る満足感が得られること、そして「宣伝下手」を自認しながら気にしていない、の2点です。

その理由は、物価が安く、様々なものが苦労せず手に入り、経済的にも精神的にも時間的にも裕福なのだ、と分析されていました。

私が嬬恋に引っ越したとき、中之条に住む友人に電話をしたところ、「嬬恋の人は大ざっぱ」と言われました。意味を尋ねると、「嬬恋のジャガイモは美味しいから欲しいと言うと、普通は1~2袋と思うのに段ボールでドーンと送られてくる」そうです。

そうしてみると、「サービス精神が旺盛」≒「大ざっぱ」、「宣伝下手を容認」≒「一番にならなくて良い」ということに思えます。また「嬬恋時間」というのがあって、「10分遅れは普通」だそうです。

これは、玄米食者に多いとされる性格にも似ていて、玄米を食べていなくても、日本古来の風習が残っている田舎や、自然と共に暮らしている人たちの地域性、ひいては日本人の原点に近いのかも知れませんし、玄米食もそうした性質に近づけてくれるということかも知れません。

東京生まれで東京育ちの夫や私の友人は、「元々の東京人は、もっとのんびりしている」と、よく申します。

そうした人は田舎にとても馴染むようで、逆に、都会の競争社会の負の感情を持ち込まれると極端に嫌います。

人生の目的は、恐らく「幸せに生きること」で、足るを知り、欲に振り回されず、気の合う仲間をもち、充実した日々を楽しく過ごせれば私は幸せで、もちろん都会でもお付き合いの場所と人を選べば可能でしたが、自然豊かで素朴な地域性を有する田舎では更に範囲が拡がるように感じています。

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