近ごろは、「○○を食べるな」とか「〇〇が総ての原因だった」というタイトルの本をよく見かけます。
かくいう私も、「すべての不調は呼吸が原因」という新聞の新刊情報を見て購入し、がっかりしたことがあります。
著者が本間生夫博士だったことから、どのような書き方がしてあるのかに興味をもったのですが、恐らく出版社が販売部数を伸ばすためのキャッチだろうと思います。
小麦についても、「これさえ摂らなければ良い」というような表現を目にしますが、そうした極端な言い回しに踊らされるのは悲しいことです。
そもそも健康というものは極めて総合的なもので、「これさえあれば大丈夫」というものも無ければ、「これさえやめれば総て解決」というものもありません。
もちろん摂るべきでない物はあり、粗悪な小麦粉もそれに該当するかもしれませんが絶対ではなく、基本の体質づくりを心掛けておけば、たまに毒物が入っても、私たちの体は生き延びるために最大限の努力をするものだと思います。
例えば、私はお蕎麦が好きでよくいただきますが、常に十割蕎麦を食べているわけではなく、価格から考えて外国産の小麦粉がブレンドされているだろうと思うときがあっても、誤差範囲だと思っています。
日々の食事で常に毒性の強いものを食べているとか、原発で汚染された空気を四六時中吸っている(原発の作業現場の方たちの告発書はありますが表沙汰になりません)とかなら、生命を脅かされる危険度はかなり高いと思いますが、それでも一律ではなく、発症の遅速や症状には個人差があるでしょう。
それは、日常の食べ物でつくられる体質のほか、気候風土や家族構成も関係する気質、人格形成や健康にも大きく影響を与える環境、そして個々人の感性や価値観による心の在り方などが総合的に健康を左右するといえるからです。
同じ環境で同じ食事をしていても、楽しい趣味や友人をもち笑顔の日々を送る人と、他者の悪口やあら探しに余念がなく不平不満の多い人とでは、後者が病を得やすいのは自明です。
セリアック病が日本ではまだ一般的ではなく、治療法が無いことは、体調不良の原因に小麦が思い当る人はグルテンをやめてみれば良く、病気を複雑にする危険性が無くて良かったと思います。
もし治療薬が存在して、セリアック病の「疑い」で投薬されたら、長期服用のうちに立派なセリアック病になりかねません。
小麦でなくても、現代の環境汚染や人工的な食べ物、ストレス社会は、どれをとってもアレルギーになり易い要素をはらんでいて、特定物質のアレルギーになる前にアレルギーになり易い体質をつくっていたかも知れません。
ですから、病気を極端に恐れたり、ストイックに何かを拒否することは、精神的な面で不健康に思えます。
基礎となる体質づくりのためにやるべきことをやり、あとは自分を信じて人生を楽しむのが良いのではないでしょうか。
自宅での日常の食事に良質な物を選ぶことは、多少のコストは掛かりますが病気治療に較べれば安上がりですし、不調を抱える不快感がありません。