結核予防法

病気

現代医学の薬剤治療が、歴史上もっとも大きく貢献したのが感染症です。

かつての日本は、明治19(1886)年の日本産業革命と共に爆発的に流行した結核が、その後半世紀以上も「死の病」として恐れられてきました。

戦後の昭和23(1948)年、GHQが抗結核薬のストレプトマイシン(SM:1944年開発)を日本に持ち込むまで、結核の治療法は「空気のきれいな場所で、安静にして、栄養を摂る」という自然療法が主でした。

しかし、そうした転地療養は貧しい一般庶民には叶わず、患者は増える一方で、大正8(1919)年に「旧・結核予防法」が制定され、ようやく地方公共団体に療養所の設置を命じられるようになりました。

昭和6(1931)年に保健所の第一号とされる「公立結核相談所」が小石川に設立され、その後、結核予防対策として保健所を増やし、昭和13(1938)年には厚生省を新設して衛生行政を独立させました。

こうして、国を挙げての結核対策が進められ、昭和26(1951)年に結核予防法の大改正(新・結核予防法)が公布され、急速に日本の結核罹患率は減少します。

その後の結核予防法は状況に応じて6回ほど改正を重ね、平成17(2005)年の大幅改正を最後に、平成18(2006)年、結核対策は感染症法に統合されることとなり、事実上結核予防法は廃止されました。

感染症法は、平成11(1999)年に施行された感染症の一般法ですが、結核は本法の中の二類感染症として扱われ、平成17年の結核予防法改正は生きています。

それによると、一律の健康診断で結核患者を発見する有効性が低下した現在、患者発生地域の偏在や高リスク群に対してのみ健康診断を行うのが有効かつ合理的であると述べています。

つまり、結核患者の多くは「都市部」「高齢者」「特定のハイリスク集団」に絞られ、高齢者(65歳以上)であっても定期健診の義務付けが発見率に照らして有効かつ合理的といえない場合もあることから、市町村の判断で対象者を限定できることとしています。

ここまで法律についてくどくどと述べたのは、嬬恋村のような空気のきれいな地域で、基礎疾患はもちろん過去数十年のライフヒストリーで病を得たこともなく、結核に罹患している可能性は限りなくゼロに近いのにX線検査をしなければならないのだろうか、ということです。

自然治癒力の高い体質の人は、病を得にくいのと同時に毒物センサーも敏感で、人一倍強く反応する傾向があります。

新型コロナワクチンでも、こうした体質では万が一、アナフィラキシーショックなどで生死をさまよったとしても、行政は責任を取ってくれません。

群馬県の結核登録患者の年次推移をみると、ほぼ順調に減少し、平成30年(最新)の嬬恋村の結核患者数はもちろんゼロです。

嬬恋村は村外からの別荘住民や観光客も多く、「念には念を」かも知れませんし、「個性的な判断」というのは行政としては難しいのかも知れません。

日本は20年以上も前から医療費がひっ迫しており、当時参加した勉強会で、東京大学の黒川清名誉教授と東京医科歯科大学医療経済の川渕孝一教授が「実現は不可能だけれど、肥満など自己管理できない人の保険料は高くする、というのは合理的だ」と冗談交じりにおっしゃっていたのを記憶しておりますが、私には随所に保険の無駄遣いがあるように思えてなりません。

※参考文献:結核予防法の一部改正施行通知(平成16年10月18日)、結核に関する特定感染症予防指針の一部改正(平成28年11月25日)、日本公衛誌2008.9.15青木正和「わが国の結核対策の歩み」

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