牛乳について 4

生活改善, 食品, 食養生

北海道開拓で酪農が始まった明治時代、牛乳はなかなか普及せず、業者や政府は「万病の薬」と宣伝して推奨しました。

そして、母乳の補助・代用として徐々に利用が始まったようです。

それまでは、「牛の乳は牛の乳、玄米の汁は神の乳」といって、母乳が出なかったり与えられない場合は、玄米の「おもゆ」を与えていたそうです。

私も粉ミルクで育ちましたが、戦後の日本は急速に食生活の洋風化が進められましたので、私の母も「玄米のおもゆ」などを与える勇気は無かっただろうと思います。

昭和30年代、ある大手乳業会社の主催で「赤ちゃんコンクール」というのが行われていました。

新宿の日赤病院では、病院の1室に粉ミルクの飲ませ方の相談室があり、出産後のお母さんが退院するときは大きな粉ミルクの缶がプレゼントされたそうです。

母乳ではなく粉ミルクで育てることが奨励され、コンクールの入賞者、優勝者は、粉ミルクで極限まで大きく膨らんだ赤ちゃんだったといいます。

それに違和感をもっていた森下博士が、当時、マクロビオティックの創始者である桜沢如一氏の月例会で問題提起すると、大阪大学・衛生学の丸山博教授が「実は我々も疑問をもち、何年も前からコンクールで優勝した赤ちゃんの追跡調査をしています。早急にデータをまとめて、学会発表の前に本会で報告します」と述べられ、その2ヶ月後に月例会で報告されました。

それによると、優勝した赤ちゃんは、慢性的または突発的な原因不明の病気で急死するなど、健康的に育っておらず、翌年に丸山教授が日本衛生学会でこの調査結果を報告し、赤ちゃんコンクールは中止になったとのことです。

月例会の主宰者である桜沢氏は。「あれは牛の赤ちゃんが飲むものだよ。当然の結果だ」とおっしゃったそうです。

しかし、こうした経緯は、現在どこにも発見することはできず、赤ちゃんコンクール中止の理由は「乳児の体位が向上したため」などと記録されています。

政府と産業が行った食の誘導は、「忖度(そんたく)」によって真実は歴史の証言者の死とともに消え去りますが、同様なことはいまもなお続いています。

5月下旬、参○党という政党の関係者の方が当館へお泊まりになり、「旅先で出された食べ物を、安心して全部食べられたのは初めてです」と言って下さって、政党の説明をされました。

食の安全や国民の体質改善を政治の場で述べていただけるのはありがたいのですが、日本はもう引き返せないところに来ていると思います。

人の価値観は様々ですから、病気と食を天秤にかけたとき、どちらを選ぶかは自由ですし、近年の食習慣によって過食の止まらない体質になってしまった人は安価で大量に食べることが幸せかもしれません。

また、消費社会で膨張した産業の方向転換も容易ではないでしょう。

そこで、「私たちは、必要な人にとっての『ノアの方舟』でいるだけです」と申し上げ、政治に期待はしない旨を申し上げました。

※参考文献:自然医学 2006年1月号「桜沢先生の遺産を未来へ向けて」、森下敬一著「肉食亡国論」

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